巡り合わせの果報者

どかん、となにかが爆発するような、そんな錯覚に陥るのだ。
例えば目があったとか、手がぶつかったとか、不意に呼ばれたとか、彼と一緒にいるときにそれは起きる。平静に見せるのばかりが上手くなって、どかどかうるさい内側の熱を黙らせる手段は見つからない。早くなんとかしないとありえない言葉が落ちてしまいそうで怖いから、苦肉の策で彼を避けるようになって三日目が過ぎた。爆発の頻度はかなり減ったが、日が過ぎるたびにこちらを見る倉間の目が剣呑になっていく気がした。

いつもより早めに部活を終えて、適当な会話をしながら着替えを始めたときだった。ロッカーに閉じ込めていた携帯がちかちか光って、メールの着信を告げていた。
(兄さんかな)
さして深く考えず画面を開き、メールの差出人を見て取り落とした。

「剣城? どうかした?」
「……なん、でもない。滑った」

何気ない動作で拾って、画面を見る。落とした拍子にボタンを押したらしく、メールの文面が開かれていた。
『明日十時に河川敷』と八文字。なんで、と視線を向けたその先で、送り主は浜野と談笑している様子だった。そのまま携帯をポケットにしまい、

「悪い、先に帰る」
「あ、うん。また来週!」

いつもより早く着替え終えて部室を出た。

足早に家に帰り、ひとこと「わかりました」とだけ返信を打つ。よほど顔色が悪かったのか、母に体調を心配された。
落ち着かなくて何をするにも手につかず、夕食の時には茶をひっくり返し、風呂場で転びかけて、ドアを開くのを忘れ額を打ち付けた。そんな調子だったから当然眠れるはずもない。結局目を開いたまま朝日を迎えたのだった。

 

 

「……顔、ひでーぞ。大丈夫か?」

十時丁度の河川敷。ボールを蹴りながら待っていた倉間は、剣城の顔を見るなりそう言った。額は腫れて、目の下の隈もはっきり出ていたから心配されて当前だと思う。

「平気です。それより、なにか用ですか」

眠気なんて倉間に会った瞬間吹き飛んでいた。どかん。一瞬目が合って、なにかが爆発する。すこしためらうそぶりを見せた後、倉間はまっすぐこちらを見た。

「なんで避けんの」
「…………そんなことは」

ある。間違いなくある。が、言えるわけがなかった。「あなたと話すと心臓が痛くなるんです」なんて、告白と同義だ。

「あんだろ。あからさまに避けやがって」
「気のせいですよ」
「目合わせてから言えよ」
「……」

目が合えばまた、自分の中の何かが勢いよく壊れてしまう。下に向けた目線を上げることなく、しかし反論も思い浮かばずに黙ったところで、倉間が大きなため息をついた。がしがしと頭を掻くのは、困った時の癖だ。

「理由くらい聞かせろ。フォワードは三人しかいねーんだから、試合にも関わる」

剣城にも、そんなことはわかっている。だからこそなんとかしようと距離を置いたのだ。自分の中の想いが霧散するのを待ったのだ。
すみません。謝ろうとした瞬間、倉間が続けて言った。

「それにいきなり目も合わなくなったら、おれだって」
「…………先輩?」

突然言葉が途切れた。思わず彼を見つめると視線が交差する。どかん。音が、ひときわ大きく鳴った。
顔を逸らしたのは倉間からで、先ほどまでとは雰囲気が違う。怒気を含んだものから一変、何かを堪えるような表情で、今度は彼が地面を睨んでいた。
怒りを堪えるような人ではないと知っている。彼がいつも頑なに見せたがらないのは、その瞳に浮かぶものだ。それは眉間にぎゅうとしわを寄せた彼の、いつもよりつり上がった目尻から、今にもこぼれそうになっている。
どかん。どかん。目が合っているわけでもないのに、まるで警報のように何度も。止まっていた唇が動く。だめだ、それ以上は。

「……寂しいだろ、そんなん」

警報が止んで、それが理性を殴りつける音だったことを知る。留めていた言葉がこぼれ落ちた。

「好きです」

目が見開かれ、倉間がゆっくりこちらを見た。落ちそうだった涙はひっこんだようだ。何度かぱくぱくと口を動かした後、彼は小さく「は?」と呟いた。

「好きです、好きなんです。近づくだけで心臓、痛いんです。倉間先輩が好きなんです」

残りの学生生活とか部活とか、そんなものはもうどうでもよかったーーと言えば嘘になる。
倉間が誰にも言わないだろうことはわかっていた。一度懐に入れてしまえば、簡単には突き離せないひとだ。わかっていて言ったのだ。計算尽くで独りよがりな、なんと汚い告白だろうか。

「……好きです、先輩」

それでも想いだけは本物だ。このひとが好きで、愛していて、自分のものにしたいと、そう思ったのだ。
倉間は黙ったまま、目もそらさずにいた。何度か瞬きをして、ぽかんと口を開けて固まっている。

「倉間先輩、聞こえてますよね」
「…………あ? あ、ああ、うん?」

首を捻り、言葉には疑問符がついた。聞こえてはいたはずだから、理解が追いついていないのだろう。それもそうだ。後輩に、しかも男から愛を吐かれるなんて、理解したくもないに決まっている。
気持ちが悪いなら忘れてくれて構わない。そう付け足そうとして、剣城は信じられないものを見た。

「……好きって、お前、本気で」

直後、倉間の顔が一気に朱に染まる。耳も首も真っ赤で、煙が出そうなほどだった。呆気にとられた剣城に、慌てた倉間が「違う!!」と叫んだ。

「ちがっ、違う! 違うからな!」
「な、なにがですか」
「えっ?! ……と、とにかくちげーんだよ!!」

ばたばたと手を振って、違う違うと繰り返す。想定していた反応とあまりに違う現実に、今度は剣城の頭が追いつかずにショートしかけていた。お互いパニックに陥る中で、ぐるぐると思考回路がやけに活発に動いていた。
なにが違うのかはわからない。しかし、とにかく拒絶はされていない。どころか真っ赤になって動揺している。ひょっとしたら、もしかしたら、これは。

「先輩」
「なんだよ!」

睨みあげる視線を受け止めた。もう爆発は起こらない。決壊したものをこれ以上痛みつけてなんになる。

「好きです。そういう意味で、あなたが好きです」
「んなっ」
「俺、期待してもいいですか」

赤くなった理由に、慌てふためいた理由に、都合のいい解釈をつけてもいいか。
そう尋ねると、倉間はなにか言い淀んだあと、唇を噛んだ。本当によく泣くひとだった。感情のキャパシティーが少ないのか、彼はよく不本意そうに涙を滲ませる。
この涙はどういう感情から来るものなのだろうか。喜びか悲しみか。おそらく混乱からだろうと剣城は思った。感情的になりすぎたことに反省して、「返事はまた今度でいいので」と立ち去ろうと踵を返す。

「剣城」

そのまま聞け。続けた声は上ずっていた。鼻をすすりながら目元を擦って、倉間がその先を紡ぐ。

「……正直、そういうのよくわかんねーから、思ったことそのまま言うぞ」

ああ、だから「そのまま聞け」なのか。素直に話すための防御壁だ。妙に納得して、はい、と短く返事をする。

「んなこと言われるとは思ってなかったから……嫌われてると思ってたから、今すげーテンパってる。おれはレンアイとかよくわかんねーし、お前がそういう意味でおれのこと好きっつーのも、たぶんよくわかってねーし」

それはそうだろう。剣城だって、倉間に会うまではサッカー一筋でやってきたのだ。たまにされる告白にも、「そういうことはよくわからない、悪い」と頭を下げてきたのだ。それを今、自身に返されようとしている。行いは巡るのだな、とぼんやり思った。「でも」倉間が続ける。

「でも、……お前に言われて、嫌ではないっつーか……むしろなんか……う、うれしい? みたいな」
「え、」
「そのまま聞けっつったろ!」
「すみません!」

振り返ろうとしたとたんに鋭い声が飛ぶ。慌てて前に向き直り、言いたいことを飲み込んで続きを待った。

「……だから、だな、えー……わ、わかんねえけど、期待は、その、」

してくれて、いい気がする。

長い沈黙のあとの、蚊の鳴くような声だった。聞き間違いでないとは言い切れない。そうであったら嬉しいという気持ちが、あまりに大きすぎたから。
でも、確かに聞いたのだ。試合中でもそれ以外でも、彼の声を聞き逃すはずがなかった。

今度こそ倉間のほうを振り返る。止められないのをいいことに走り寄ると、来てんじゃねえよ、と腹に拳が当てられた。
俯いた彼の、空色の髪から覗いた耳が真っ赤に染まっている。鼻をすすって袖で目元を拭ってからようやく顔が上がり、いつもどおりの強気な瞳と目があった。

「っあーくそ、来んなっつったろ」
「言われてないです」
「わかんだろが!」
「わかりません」

触れたままだった拳に手を置く。びくりとはねてから拳の力が抜けたので、もぐりこませるように指を握った。

「……わかりません、先輩」

たぶん、無意識に笑っていたのだと思う。倉間は一瞬驚いた顔をして、それから手を握り返した。すぐに離れていったそれを、追うようなことはしなかった。
数歩下がった倉間の足下から、ぽんと音を立ててボールが飛んでくる。胸で受けてから彼を見ると、いたずらが成功したような顔で笑っていた。未だに赤い頬で、少し照れくさそうに。
どかん、とまた爆発したような心地で、しかし浮かんだ言葉は飲み込まなかった。

「……先輩」
「んだよ」
「好きです」
「っうるせえ! もうちょい待ってろ!!」

蹴り返したボールは、なかなかの威力でまた戻ってくる。嬉しくなってまた蹴り返すと次第に取り合いになって、気づけば息を切らして座り込んでいた。倉間の腹がぐうと鳴り、つられて剣城が自分の腹を擦る。

「……腹減った」
「食べに行きましょうか」
「だなー」

言いつつ立ち上がり、並んで歩き出す。
数年後もそうしているだなんて知りもしないふたりは、隣を少しだけ気にしながら歩を進めたのだった。