幸福めいた確認作業

彼について知っていること。
すぐに怒る。すぐに怒鳴る。目つきが悪い。嫌われ者。なのに人気者。ツンツンした髪は結構柔らかい。それから、実は優しいひと。私のことが大好きなひと。

 

 

がちゃ、と音がした。その数秒後に目を開く。当然周囲には誰もおらず、部屋の外ではきっと彼が朝食の準備をしている。
休日にこんなに早く目覚めたのは久しぶりだった。いつもは勝己が怒鳴り起こしてくるまで眠っているから、今すぐにドアから顔を出せば、驚く顔が見れるに違いない。しかし好奇心とは裏腹に身体は重たく、布団からは離れられそうになかった。心地の良い包丁の音を聞きながら、瞼がすうと落ちていく。ぼんやりと意識を保ったまま、お茶子は朝食に想いを馳せていた。

彼が作るごはんはいつも美味しい。彼と一緒に食べるともっと美味しい。隠し味は愛情かな。同じくらいに入れているはずなのに、自分のごはんがあそこまで美味しくなったことがないのは何故だろうか。

そうして数分が過ぎ、再びがちゃと音がして、沈みかけた意識は一気に浮上した。開きかけた瞼を閉じ、勝己の怒鳴り声を待つ。あれを聞かないと朝が来た気がしないのだ。

ひたひた、足音が続く。ぎし。ベッドが鳴いた。ここでいつもと違うことに気づいたが、今更起きるのもなんだか気まずくて、眠ったふりを続けた。

突然、頬に指が滑った。その指は遊ぶように髪に潜り、何回か梳いて、再び頬に戻る。優しい触れ方がこそばゆい。こんな触り方、起きているときはされたことがなかった。ふ。空気を吐き出す音。いま絶対に優しい顔をした。そう思うのに動けない。

きし、再びベッドが鳴いた。勝己の重心が移動している。覆いかぶさるような気配、のあと、こめかみに柔らかい感触があった。

限界だった。

 

 

やられた。

みるみるうちに赤くなった頬に、勝己は大きな舌打ちをした。後ろめたさとか羞恥とか、色々なものがないまぜになった舌打ちだった。

「……麗日ァ……!!」
「……ご、ごめ……ごめんなさい……」

素直に謝ってみせたその顔は、すっかり朱に染まっている。いつから起きてやがった。聞きたいような聞きたくないような。気づかなかった自分はあまりに油断しすぎていた。
顔を覆い、お茶子は体を丸める。元から自分より小さな体躯は、そうすることで一層小さく見えた。

「ちが、違うんよ私、ただ、爆豪くんの怒鳴り声で起きるのが日課で、いつもどおりに起きようとね、そしたらその、爆豪くんがいつもどおりやなくて」

いつもどおり。そうだ、休日が被った日は、大抵勝己が先に起きて、お茶子を怒鳴り起こすのがいつものとおりだ。
それが今日はたまたま、気が向いて触れてみた。なんとなくキスをした。お茶子はそう思っている。
それがまた、勝己の気恥ずかしさを助長した。わなわなと震え、こめかみに浮いた血管は今にもはちきれそうで。そんな中でお茶子がぽつりと、全身真っ赤に染め上げながら呟くものだから。

「……私、こんなに愛されとったんやなあ」

休日の朝、一向に起きない彼女を愛でるのが日課になりつつあった男は、それをすることで自分の独占欲を満たしていた男は、いつもどおりに怒鳴る他なかったのだ。

「フザッッけんなこのドアホ!! 遅え!!」
「ヒエ、なに?! なんっ……え、なんで乗っかるん? というか遅いってなに? 」
「うるせえボケ! テメエ調度良く全裸だろうが、愛し殺したるわ!!」
「えっなんでそうなる、というか脱がしたのそっち……うわ、ちょちょちょ待って待っ」
「待つか!!」
「わあああっ?!」

バサリ、勢い良く風を起こしながら布団を剥ぎ取る。昨夜触れた通りの姿でお茶子はそこにいて、勝己はそれに心底安堵しながら、彼女の肩を押した。そのときだ。

「……喧嘩売りてえらしいなァ……!!」
「ごっ、ごめん、いきなりやったからつい」

ふわふわと浮き始めた体に、お茶子が手を伸ばしてくる。ごめんね、嫌とかやなくてね、と言い訳をしながら勝己を引き寄せ、背に腕を回してから個性を解除した。
抱きあうような形で、勝己はベッドに着地する。宥めるように、温かい手のひらがその背を軽く叩いた。

「……イマイチなんで怒ってるのかわからんけど、爆豪くんが私のこと大好きなの、ちゃんと知ってるからね」

ただ、たまにこういうことされると、自覚して嬉しくなってしまうんよ。
剥き出しの肩に顎を載せ、お茶子の声を聞く。自分だけに向けられた声はひどく心地良い。柔らかい肌に触れた先から苛立ちが霧散して、勝己は舌打ちを一つ零し立ち上がった。

「あれ、いいの?」
「……飯冷めんだろが。さっさと服着ろ」
「脱げって言ったり着ろって言ったり忙しないな、わぶっ」
「脱げは言ってねえ!!」

減らず口を先程剥ぎとった布団で塞ぐ。布の下でお茶子がふふふと笑っている。その上に昨夜散らかした服を投げつけると、「ありがとー」と間延びした礼が返ってきた。
そのまま置いて部屋を出る。朝食の並んだ机につくと、一分経たないうちに服を着たお茶子が顔を出した。机の上を見るなり笑顔になる。

「いいにおい。爆豪くんの卵焼き、好きだ」
「卵焼きだけかよ」
「お味噌汁も好きだし、お魚も爆豪くんが焼くと美味しいんよね。……ふふ、爆豪くんのごはんは全部好きだ」

軽やかに笑って、お茶子は勝己の向かいに腰掛けた。いただきます。声を揃えた言葉はもう何度目か。湯気を立てる味噌汁を一口飲んで、ふと前に視線をやれば目線がかちあった。卵焼きを箸で割りながら、お茶子が「あ」と声を上げる。何か用事を思い出したか、それとも生活必需品を切らしたか。どちらかだろうと高をくくった勝己は、飛び出した言葉に脱力した。

「もちろん、爆豪くんのことも大好きだからね!」

なんだそれは。改めて言うことか。知っとるわ。一言で返せば、お互い様やね、と彼女は幸せそうに卵焼きを頬張った。