至近距離ラブ・アタック!

うたた寝をしていた、それだけだ。なのに何故、自分の下にこの女がいるのか。

「……ば、爆豪くん?」

離しておくれ、とふざけた調子で麗日は言った。右手のひらとソファの間に彼女の細い手首があり、距離は今までにないほど近い。敢えて間を詰めて来なかったのだから当然だ。今この瞬間がイレギュラーであり、避けてきたはずの事態。だというのに。

「爆豪くんあの、起こそうとしただけなんよ。決して危害を加えようとしたわけではなくて、だから離してもらえんかな」

黙ったままのこちらに、麗日は眉を下げて言う。危険を感じてこうしたわけではないから的外れだ。なら何故こうなっているのか、と問われれば、「寝ぼけて押し倒した」以外の答えなどなかった。まさかそれを言うはずもないが、先程から身体が言うことを聞かないのだ。気を抜けばすぐにでも目の前の唇に噛みつきそうで、抑えろ、と思うたびに眉間に力が入る。

「な、なんとか言ってよ……どうかしたん? 体調悪いん?」

大丈夫? 無用の心配をしながら、麗日がこちらに右手を伸ばしてくる。個性の発動を心配したのか、手の甲が額に触れた。熱はないなと安心して笑う姿に、こいつは馬鹿だ、と思う。
男に押し倒されてんだぞ、状況わかってんのか。個性でもなんでも使って逃げればいいものを、どうしてそうしない。
なにかがぷつり、内側で音を立てて、ちぎれかけたそれを無理やり引き結ぶ。依然触れたままの手を掴んで彼女を起こし、その勢いのまま強く抱き寄せた。
馬鹿は俺だった。なにが起きたかわかっていない麗日は静かだったが、ややあって「……え?」と小さく呟いた。
それを合図に引き剥がし、彼女を見もせずに立ち上がる。自室へ向かう背に視線を感じた。なにも言わないのも妙な気がして口を開いたが、しかし言葉は出てこなかった。

 

 

「麗日さあ、なんで彼氏作んねえの?」

しゅわしゅわと音を立てるレモンサワー、その隣に置く予定の唐揚げを店員から受け取った瞬間、斜め前に座っていた上鳴くんがそう言った。まるでできて当然とでも言うような聞き方に苦笑いしつつ、皿を置いて「なんで?」と問い返す。

「だって、今までそういう話聞かねーからさ。麗日、ルックスも性格も知名度もいいからできそうなもんなのに、なんで作んねんだろって」
「口が上手いなあ、上鳴くん。この手で何人オトしてきたん?」
「人聞き悪くね?! ちげーって! 俺、高校のとき他のクラスの奴とも話してたけど、麗日モテてたし」
「さすがにそれは嘘やろ。私、告白とかされたことないよ」

言いつつ、レモンサワーに口をつける。炭酸で舌が焼けて、レモンの酸っぱさに思わず目を閉じた。うーん、やっぱり嫌いではないけど好きでもない味だ。なのに飲み会のたびになんとなく頼んでしまう。癖になってしまっているのだ。

「そりゃ、あの頃って俺ら、めちゃくちゃ必死だったから。邪魔できなかったんじゃね」

まあ、わかんねーけどさ。上鳴くんもビールを口元に運び、その流れで誰かが「そういえば」と切り出して、話が少しずつ逸れていく。それにこっそり安堵しながら、机に置いたスマートフォンの画面をつけた。コミュニケーションアプリの通知に彼の名前が表示される。さり気なく手で隠しつつ、タップしてメッセージを確認した。

「帰り何時だ」

朝ちゃんと言ったのに、聞いてなかったのか。仕方がないといえば仕方がない、今朝は二人揃って寝坊して、ばたばた慌ただしく家を出たのだ。むしろあれを「言った」とした私が悪いかもしれない。

「たぶん日付超えるよ、いつも通り。バクゴーくんは?」
「とっくに帰っとるわ。先寝る」
「来れば? みんな喜ぶよ」
「誰が行くか!」
「意地張らんでええのにー、おやすみ」

既読がついてメッセージが途切れた。眠る準備を始めたのだろう。一緒に暮らし始めて三年が過ぎたが、おはようやおやすみが返ってきたことは一度も無い。爆豪くんらしくて面白かった。
そういえば昨夜はおやすみを言ってないな、とふと思い出す。それはそうだろう、だってあんなことがあったのだし。

あれから自室に入ったはいいものの眠れなくて、布団に篭ったまま、あの固い腕で抱きしめられた感覚を反芻していた。その場ではなんの反応もできなかったが、思い返すたびに顔が熱くなって、同時に少し後悔する。すぐ彼の背に腕を回していたら、何か変わったかもしれないのに、と。
そしてふと、気がついてしまった。私は何を変えたかったのだろう。

「お茶子ちゃん」

その瞬間声をかけられて、思わず肩が跳ねた。弾みでグラスを五本指で触れてしまい、浮き上がっていくレモンサワーを慌てて捕まえる。

「ごめんなさい、驚かせるつもりじゃなかったのよ」
「ああうん、いやごめん! ぼーっとしてて!」

解除すればグラスとその中身は元の位置に戻った。周囲に少しだけ散ってしまったサワーを拭いつつ、申し訳なさそうに眉を下げる梅雨ちゃんを見た。

「それで? どしたの?」
「お茶子ちゃん、恋人がいないって嘘でしょう」

言って、長い指が唐揚げの隣のスマートフォンを指す。

「お相手はその人かしら。違う?」

言いたくなかったら、適当にごまかしてくれていいのよ。
固まってしまった私に、梅雨ちゃんはそう続けた。お酒が入った顔から熱が引いて、おそらく私は青褪めている。恋人、こいびと。メッセージの相手、爆豪勝己を指して、彼女は今、恋人だと。

「ちゃっ……ちゃうよ! なんでそうなるん?!」
「お茶子ちゃん、画面を見ながら幸せそうな顔をしてたわ。だから私てっきり」
「ちゃいます!! これは、これ、ええと……一緒に、住んでる人からで」
「…………? 同棲ということ?」
「ヒエーッ?!」

違う! 断じて! そんな風に思われてると知れたら殺される!
必死に首を振り、梅雨ちゃんが「わかったわ。もう聞かないから落ち着いて」と背中を擦ってくれるまで、私は延々と否定し続けていた。
嘘はついていない。彼は衣食住を共にしてる相手というだけだ。恋人でもないし、ましてや同棲だなんてもってのほかだった。そんな風に他人から思われていることが知れたら間違いなくブチギレるし、最悪部屋から出ていってしまうだろう。
それは困る、……いや、困るというより、嫌だ。爆豪くんがいない部屋なんて、絶対嫌だ。

「……お茶子ちゃん? 大丈夫?」
「うん? なにが?」

わざとへらりと笑えば、優しい梅雨ちゃんはそれ以上踏み込んでこないことを知っていた。ずるい友達でごめん。思いつつ、まだ自分でも整理しきれない気持ちを話す気にはなれなかった。

 

 

久々の飲み会は、たくさんの酔っ払いを生み出してつつがなく終わった。ふらふらのデクくんと、それを支える轟くん飯田くんを見送って、終電に乗り込み彼が眠る家に向かう。念のため今から帰る旨を伝えたが、返信どころか既読表示もつかなかった。よく眠っているらしい。
アルコールでふわふわする頭で、ぼんやりと流れていく景色を眺めた。どうしてあんなひとと二人で暮らし始めたのだっけ。よく思い出せないが、勢いで決めた部分が大きいことは覚えている。予想外にすんなりと彼がオーケーしたことも、よく覚えている。
今思えば、爆豪くんはどうして同居を良しとしてくれたのだろう。絶対に嫌がりそうだし、事実、切島くんがルームシェアを持ちかけたときは「誰がするか鬱陶しい」とすげない答えが返ってきたと聞いている。それなのに私が聞いたときは、「テメエの節約癖押し付けやがったら殺すからな」と初めから乗り気だった節もあった。
爆豪くんを誘ったのは、自分の都合とほんの少しの好奇心からだ。ルームシェアしてくれそうな人を探していて、そんなときに爆豪くんの職場が私の職場と近いことを知った。彼との暮らしはなんだか面白そうだし、爆豪くんなら大丈夫だと、なんの確証もなくそう思った。だから誘ったのだ。まさかオーケーするとは思わなかったが。

「なんでやろ……」

昨日のことといい、あのひとは私のことをどう思っているのだろう。
アナウンスが最寄り駅を告げ、ちらほらと立ち上がる人々に続いた。ガラス窓に映る自分の顔は、いつもの自分ではないように見えた。

 

 

「…………え、なんで?」
「あ? なにが不満だっつーんだよ」
「いや、不満はないけど……寝るんやなかったの」

改札を出たところで、乱暴に声をかけられた。聞き覚えのある、今一番聞きたかった声。信じられないことが起きた。

「迎え来てくれたん?」
「酔っぱらいが世間に迷惑かけてねえか見に来た」
「もー、言い方……ありがとね」
「帰んぞ」

おそらく終電に合わせて来てくれたのだろう。羽織ったパーカーの下は部屋着のままだった。よく見れば寝癖もついているような。慌てて隣に並ぶと眠たそうに欠伸をして、大股だった歩調がほんの少しだけ緩んだ。
たったそれだけで、じわじわと顔が火照る。アルコールのせいだ。あの酸っぱいレモンサワーのせいだ。手を繋ぎたいと思うのも、実際それを行動に移してしまったのも、全部、ぜんぶ。

触れた瞬間、爆豪くんはびくりと震えて、私の手を思い切り振り払った。驚いた私はその場で立ち止まってしまう。三歩先で爆豪くんも止まって、目を丸くしてこちらを振り返った。自分の手と私の手と、それから私の顔を見て、大きな舌打ちをした。

「……ご、ごめん」

思わず謝ったが、それが失敗だったらしい。三歩の距離を一気に詰めた彼は、乱暴に私の手首を掴んで、再び歩き出した。

「爆豪くん」
「うるせえ。シャキシャキ歩け短足」
「短足やないし、待って、ねえ」
「つーか細えんだよテメエ。んだコレ折るぞ」
「折らんといて。そうじゃなくて爆豪くん、待って、ちがうんよ」

足が止まった。手首は変わらず掴まれたままだった。外灯に照らされて、砂色の髪が風に揺れるのが見えた。振り返らないのは何故だろう。

「ちがくて、私、手が繋ぎたい」

気づいたら涙がぼろぼろ溢れていた。手が繋ぎたかった。手を繋いで、隣を歩きたかった。
なんで来てくれたの。女のひとり歩きを心配するような、そんなひとではないはずなのに。昨日の夜のことはなんだったの。どうして優しくするの。

「……爆豪くん、私のこと、どう思っとるん」

止まった足と、掴まれたまま動かせない右腕。アルコールと涙の勢いは凄いもので、簡単に口に出せてしまった。

 

 

なんで触ってくる。なんで泣いてる。挙句にその質問はなんだ。
言いたいことはたくさんあるはずだが、言葉はまったく出てこない。掴んだ手首は震えていた。背後から時折もれる嗚咽に混じって、昨夜結び直したはずのそれが、今度こそちぎれる音を聞いた。

 

 

「歩け」

質問の返答はなく、ただその一言だけが暗い道に響いた。静かな声だった。止まっていた足が動き出し、私の腕を引いて前に進んでいく。
待って、と訴えるが全く聞いてもらえず、涙は未だ止まらないままで、めそめそ泣きながら彼の後ろをついていく形になった。目指す先は間違いなく二人で住んでいる部屋で、帰ったらすぐに荷物を纏めるように言われるのかも、と思うと余計に涙が頬をつたった。変えたいだなんて、思うべきじゃなかったのかもしれない。

黙ったまま歩き続け、いつも通りの道を通って部屋に着いた。爆豪くんがポケットから出した鍵で扉を開き、私は引きずられるように中へ入った。オートロックの扉が閉まる。それと同時に、静かに名前を呼ばれた。

「麗日」

出てけ、と続くのだろうか。返事もできず立ちすくむが、爆豪くんはなにも言わない。言わないまま、ここまできても掴んだままだった手首を引いた。よろけた私の背に、爆豪くんの腕が回る。
まるで昨夜の再現のようだ。逞しい腕が熱くて顔が火照る。言葉なんか一つも出てこない。混乱して目を回す私の顔に、大きな手が添えられた。

「へ、あ、爆豪く」

噛みつかれた、そう思った。目の前に彼の赤い瞳があった。目は閉じないのか、とどこか冷静な私が言うが、それはこちらだって同じだ。容易く侵入してきた舌が口内を犯し、思わず声が出るような痺れにやっと目を閉じる。足に力が入らない。立っているのがつらくて縋り付くと腰に回った腕に力がこもり、それでなんとか崩れ落ちずに済んだ。
時間の感覚なんてあてにならない。数秒とも数時間とも感じられた瞬間が終わった。幾度も角度を変えて口付けられ、視界がちかちかと瞬いていた。ようやく解放されてまともに呼吸をして、しかし彼の首に回した両腕は離せずにいた。腰が完全に抜けていて、いま離せば尻餅をつくのは間違いない。必死にしがみつくと何故かそのまま持ち上げられる。

「え、ちょっと、爆豪くん!」
「うるせえ騒ぐな」

爆豪くんは器用に私の靴を脱がして玄関に放り投げ、自分も靴を脱いでやっと部屋に上がる。なすがままの私はそのままリビングまで連れて行かれ、昨夜、爆豪くんがうたた寝していたソファに放り投げられた。

「テメエこそどうなんだよ」

ぎしり、音がする。私の足の間に爆豪くんが膝をつき、彼の大きな両手は、私の顔の左右に置かれていた。
質問の意味がわからず困惑していると、言葉が続く。

「同居誘ってきたのはテメエだろうが。ダラダラ三年間んなこと続けて、意味もなくアイツラに隠して、どういうつもりだっつってんだよ!」

そこで気がついた。私が先程聞いた質問を返してきているのだ。俺のことをどう思ってるのかと、聞かれているのだ。

じわり、じわりと、湧いてきたのは怒りだった。

同居を了承したのは爆豪くんだし、ダラダラ三年間何も言わなかったのも爆豪くんで、意味もなくアイツラ、つまり元A組のみんなに隠してきたのも爆豪くんだ。なにも私だけではない。それなのに全部私の責任のように言われて、そうですねと笑って流してあげられるような、そんな生やさしい付き合い方はしていない。
目の前にある、赤い瞳を睨みつけた。眉間にぎゅうと皺が寄り、それは女を押し倒してする顔なのかと、昨晩とは違うことを思った。

「言わない! 爆豪くんが言うまでは言わん!」
「ああ?! 状況わかってんのかテメエ、危機感足りねえんだよ!」
「なんで爆豪くんに対して危機感なんて持たんといかんのよ! 持ってたらそもそも同居なんて誘わんわ!」

帰ってきてすぐの、あの深いキスで生じた甘い気分なんて吹っ飛んでしまった。そもそもどうしてキスなんて。その答えなんてわかりきっている。認めるのも簡単だ。しかし言わせてみたい、この口から、甘い単語を引き出してみたい。

チッ。響いたのは舌打ちの音。細まった瞳から覗くのはぎらぎら光る赤。その目だけでどうにかなってしまいそうだなんて、一生伝えてやるものか。

「私が先に聞いたんやから、爆豪くんには答える義務がある」
「なにが義務だクソが!」
「私に同じこと聞きたいんなら、答えるのが筋やろ! どうなん爆豪くん、私のことどう思ってるん?!」

ぎりぎりと歯ぎしり、からの顔を伏せて葛藤。怒っているのか照れているのか、むず痒くて苛ついているのか、おそらく全部だろうが、再び表情を確認したときには覚悟を決めたようで多少落ち着いていた。

腕を引いて起こされる。こうして座って相対するには距離が近い。少し下がろうと身じろぎしたところで、掴まれた腕が離してもらえるはずもなく。
仕方なく目前の顔を見つめれば、彼もまたこちらをじっと見ていた。どきり、心臓が大きく鳴った。頬を手のひらが滑る。壊れ物でも扱うかのような触れ方は恥ずかしくてくすぐったくて、爆豪くんからは想像できないような優しさに顔から火が出そうになる。
額に砂色が触れて、赤い瞳は瞼に覆われた。それにつられて目を閉じると、先ほどとは大違いの、とびきり優しい、触れるだけのキスを三回。終わると同時に背中に腕が回り、たくましい体で、強く抱きしめられた。それだけでは足りないとばかりに顔が擦り寄ってくる。力は強いが辛いものではなく、むしろ暖かくて少し苦しくて心地が良いくらいだった。
どれくらいそうしていたのだろう。顔が熱くて頭がぼーっとして、気づけば彼の背に自分の腕があった。爆豪くんとの間に距離なんて一ミリもない。

この人は、私のことが好きだ。それもものすごく、とんでもなく、私のことが好きだ。数回のキスとハグで心の奥深いところまで知らされてしまうのでは、甘い言葉なんてなんの意味も成さない。

目を閉じる。息を吸う。彼を浮かさないように、指を一本だけ持ち上げなくてはいけないのがもどかしくて仕方がなかった。

「……爆豪くん」
「……ンだよ」
「私もね、好きだよ。爆豪くんが好きだ」

このまま一緒に溶けてしまいたいくらいには。そう伝えたら彼は鼻で笑うのだろう。自分だってそう思っているくせに。

 

 

しゅわしゅわと音を立てるレモンサワー、その隣に並ぶのはほかほかのだし巻き卵。
私の報告に目を丸くした一同は、数テンポ遅れてから、声を揃えて「ええー?!」と叫んだ。

「か、かれっ、か、彼氏?! 誰が?!」
「バクゴーが?! バクゴーが彼氏?!」
「そもそも一緒に住んでたって何、聞いてないよー!」
「俺、爆豪にルームシェア断られたぞ! そういうことか! やるな爆豪ー!!」

みんながわいわいと騒ぐ姿は、高校時代から全く変わらない。なんだか安心してへらりと笑うと、「幸せそうにしやがってチクショウ!!」と峰田くんが叫ぶ。瀬呂くんが「爆豪呼ぼうぜ!」とスマートフォンを取り出し、それに「今日は仕事行っとるよ」と一言発すれば、数人から「マジなんだ……」「すげえ……麗日すげえ……」とよくわからない感想が漏れ聞こえた。

「お茶子ちゃん」

隣からちょいと袖を引かれる。梅雨ちゃんはまず一言、「おめでとう」と微笑んでから本題に入った。

「一緒に住んでる人って、爆豪ちゃんだったのね」
「うん、そうなんよ。……その、隠しててごめん」
「気にしてないわ。悩んでるようだったから、心配だったの。……今度こそ、同棲になるのかしら」

その言葉に、うん、と頷きつつ目を逸らした。同棲。こそばゆい響きだ。一緒に住むのは今までと変わらないはずなのに、関係性が変わるだけで呼び方まで変わってしまう。
顔を赤くした私に、梅雨ちゃんはケロケロと頭を撫でてくれる。冷やすといいわ、と手渡されたのは机にあったレモンサワーで、頬に当てると顔の熱が幾分かマシになった気がした。

「……そういえばお茶子ちゃん、またレモンサワーなのね」
「え? ああ、うん、そうやね。なんかつい頼んでしまって」
「最初にお茶子ちゃんがレモンサワーを頼んだとき、意外だと思ったの。甘いのが好きだと思っていたから」
「そうなんよねえ、なんでやろ」

頬に当てていたそれを、口元に持っていく。炭酸が舌を焼き、レモンの酸っぱさに目を閉じた。

「好みじゃないのに頼むなんて、よほど好きなのね」
「えー、それ矛盾しとらん? ……でも、そうだなあ」

しゅわしゅわと音を立てるレモンサワー。何度飲んだって好みの味ではない。それでも。

「うん、好き。癖になるんよね」

自然と頬が緩む。梅雨ちゃんがどこか嬉しそうに笑う。
からん、グラスの氷が音を立てた。