返事の返事は最大級の愛で

彼はテーブルに忘れられた箱からそれを取り出し、私の指を彩る。眉間に皺を寄せて目を合わせ、それから静かにキスをした。人生で一番、多幸感に溢れた一瞬だ。このひとを絶対幸せにすると、私はひとり心に誓ったのだった。

 

 

こん、と置かれたのは箱だった。濃いブルーをした小さな箱。テーブルの真ん中、先程まで食事をしていた場所に、それは置かれた。

「やる」

投げ出された一言。なんとなく中身の予想ができただけに、少し残念な気もした。ロマンスの欠片もないひとだとわかっていたはずなのに、この期に及んでまだ期待していたらしい。私だって女なのだから仕方ない気もする。
箱を引き寄せ、両手で持ち上げる。どくり、どくりと心臓が鳴っている。残念がっても緊張はするのだ。そっと蓋を持ち、力を込めると簡単に持ち上がった。一センチの隙間から、銀色の輝きが見える。その瞬間。

ぱたん。
爆豪くんの手が、蓋を持つ私の手に重なった。押されて隙間が閉じる。
「え、」わけがわからず彼を見ると、真剣な顔でこちらを見つめていた。先程まで投げ槍な態度だったはずなのに、どうしたというのだろう。

「……どうしたん? くれるんじゃないの、これ」

聞いても答えはない。彼の大きな手のひらは、私の手をすっぽり包み込んだまま動かない。

「……わかってんのか」
「なにが?」
「俺がどういうつもりでそれ渡したか、わかってんのか」

まるで罪を告白するようだった。黙って渡せばいいのに、と思わないこともない。どちらにせよ受け取ることには変わらないのだし。
数秒考え、にこりと笑った。

「わかっとるよ。でも爆豪くんがちゃんと言ってくれんと、勘違いしてるかも」

意地悪がしたくなった。どうせ言えないだろうと高を括っていたのだ。それなのに爆豪くんはぎゅうと唇を引き結んで、それから、覆ったままだった私の手を取った。赤い瞳は依然としてこちらを射抜いたまま動かない。なにもついていない左手の薬指を、彼の親指が撫ぜた。

「てめえを縛るために、鎖を嵌める。そっちの気持ちなんざ知ったこっちゃねえ、全部俺の都合だ。その上でお前は、これを受けんのか」

揺れる赤を、私はぼんやりと見つめていた。言われたことを咀嚼し、飲み込むと、じわじわと顔が火照っていく。お前が欲しいとこんなにも直球で言われたのは久しぶりだった。

爆豪くんは自分勝手なようでいて、他人を慮る性質だ。私に対しては特にそれが顕著で、告白のときも、同棲を決めたときも、自分はとうに準備を済ませてから、必ず私の気持ちが決まるのを待っていた。
今回だってそうだ。自分は準備万端、しれっと渡してあとは私の返事を待つ。そのはずだったのに、私がなんの疑問も持たず、当然のように受けようとしたから止めたのだ。

爆豪くんは本当に馬鹿だ。そこがかわいくもでもあるのだけれど、少し、いやだいぶ腹立たしい。知ったこっちゃねえ、なんて嘘もいいところだ。

「爆豪くんて、いつもそうよね。いつも、断られる準備済ませてから来る。私の気持ちなんか知らんって顔で、私の気持ちばっかり考えて」

彼の想像の中で、私が何を言ったのかなんて知らないし知りたくもない。実際の私は拒否なんて思いつきもしないのに、爆豪くんの中の私はいつだって否定的だ。告白も、同棲も、心の底から嬉しかったのに未だに彼はそれをわかってくれない。

「……ねえ、なんでいつも私が断る前提なん?」

はっきりさせておかねばと、ずっと思っていた。この段階に来るまで切り出せなかったことが悔やまれる。
触れていた手を、握りしめた。びくりと震えたが逃れようとはしない。真っ直ぐこちらを見ていた瞳は、その奥に怯えを孕んでいた。

「なんで、私が断ると思うん。私はずっとこれを欲しかったのに、なんで断ると思ったん」

泣きたくない。泣きたくないのに、積もり積もった物が決壊していく。ぼたぼたと溢れて止まらない。何度好きだと、ヒーローでないときの自分が一番大切なのはあなただと伝えても、爆豪くんは頑なに信じてくれない。そうかよと頷くだけの彼の視線の先には、かつて私が憧れた背中がある。

「何年前の私を見てるの。今の私は、爆豪くんの恋人の私は、そうなった瞬間から爆豪くんのことばっかり見てるのに。爆豪くんは肝心なときにこっち見てくれてない」

縛るって言ったよね。
続けて告げる。彼は一言も発さず、ただ黙って私の話を聞いている。

「縛るって言ったよね。爆豪くんが安心できるんなら、それでいいって私は思ってる。でも、でもさ、そろそろわかって欲しい。私が一番好きなのも、一緒にいたいのも、触りたいって思うのも、全部ーー全部、勝己くんだけなんよ」

縛るも何も、心は何年も前から彼に捕まったままだ。安心と幸福に、ずっと優しく縛られている。その上目に見える形で”鎖”をくれるというのに、私が断る理由なんてただのひとつもない。
それなのに、どうしてわかってくれないのだろう。頑固にも程がある。私が選んだのはあなたなのに。
止まらない涙が視界を滲ませて、彼がどんな顔をしているのかはわからない。それでも厚い皮膚に覆われた手のひらが、こちらへ伸びてきていることはわかった。武骨な指が溢れるものを拭う。

「お茶子」
「うん。なに?」
「……悪かった」
「うん。ほんとにね」

ぎゅうと強く抱きしめられて、彼の肩に顔を押し当てた。本当に不器用だ、彼も、私も。

「…………俺は、てめえを放すつもりはねえ。俺のもんになれ。……お前の意思で、俺の隣にいろ」

ロマンスの欠片もない、そんなひとだとわかっている。わかっているからこそ、投げられた言葉はどこまでも真っ直ぐで、偽りのないものだと知っていた。

「……ひっどいプロポーズ!」
「うるせえ。言ってやっただけありがたく思え」

続く言葉もやはりひどいものだ。結婚してくださいの一言も言えないこのひとは、たぶん今、泣きそうな顔をしているのだろう。

「勝己くんが言わんなら、私が言っていいかなあ」
「あ?」

性格に似合わず涙もろい彼に、贈りたい言葉があった。ずっと言われたかった言葉だ。けれどきっとこれを言うのは彼ではないのだろうと、そう思っていた。
予感は当たる。すうと息を吸って、彼の背に回した腕に力を込めた。

「結婚しよう、勝己くん! ずっと隣にいてください!」

一瞬固まって、二秒もしないうちに強い力で抱き返される。返事はそれで十分だった。