保留期間は終わるのか

「爆豪くんごめん! 遅くなる!」

メッセージアプリにそんな連絡が入ったのが十五分前。そのときすでに待ち合わせ時間を五分過ぎたところで、つまり現時点で二十分ほど、爆豪勝己は待ちぼうけを食らっていた。
誘ったのはテメエだろうが。スマートフォンを破壊する勢いで睨みつける。近くを通った店員は怯えたように逃げて行った。ひそひそと話す声は隣のテーブルからだ。ねえあれもしかして、とまで言ったあたりで視線を寄越せば静かになった。

すっかり冷えたコーヒーを啜って、苛立ち紛れに舌打ちをする。
正直なところ、こうなるだろうと思ってはいた。最近彼女の事務所近くでのヴィラン発生率がやたらと高く、そのたびに駆り出されていたと聞いている。週に一度、仕事終わりに決まってかかってくる電話で、今週の出動回数を聞いて唖然としたのだ。それで体力もつのかよ、とつい口に出た言葉に、麗日は笑って言った。
「もたなくても行かんと。ヒーローやもん」
……つまりは、己の限界なんて考えてすらいないらしい。だというのにやっと取れた休日までデートに誘ってくるあたり、大馬鹿にも程がある。
眉間の皺が深くなるのを感じながら、再びコーヒーを口に運んだ。ドアベルが鳴る。バタバタと彼女の足音がした。

「ごめん! 待たせた! ごめんなさい!」

喫茶店に飛び込むように入ってきた顔には隈がある。怒りより先に呆れが出て、爆豪は頬杖をついたまま溜息を吐いたのだった。

 

 

本日のデートプランは丸っと彼任せだった。「どこ行こうか」「決めとくから寝ろ」というごく簡単なやりとりで決まったそれを、麗日は深く深く後悔することになる。

「……ここはもしかしなくとも、爆豪くんの家では」
「他になにがあんだよ」

喫茶店を出て、自然な流れで手を繋いだ。そこまではよかった。先導する彼にどこへ向かっているのか尋ねると、「着きゃわかる」とだけ返されて、そのままノコノコとついてきたのが大失敗。
辿り着いた建物を見上げながらの言葉にはぶっきらぼうな返事があった。物理的にも金銭的にも高い部屋に通されて、麗日は今、ソファで身をかたくしている。

しまった。しまった。やらかした。今日は完全に気を抜いていて、おまけに朝は寝坊したから急いでいて、下着の色を覚えていない。これはまずい、大変にまずい展開だ。とにかく確認してこようかとも思ったが、確認したところでここにはカワイイ下着の替えなんてないのだ。万事休す、諦める他ない。というか爆豪くんだってそのつもりなら予め言っておいてくれれば、いやそもそも久々のデートがこれって、などと思考がぐるぐると巡り、麗日は額を小突かれるまで近くまで来ていた爆豪に気が付かなかった。

「あたっ」
「なにボサっとしてんだ間抜け」
「だ、だって! ……ん? 爆豪くんなにしとん」

眉間に皺を寄せて、何かに怒っているということはわかった。しかしソファに座った麗日の足元に跪き一体なにをしようというのだろう。爆豪は質問に答えないまま、麗日の両膝の下に腕を通す。そしてそのまま上に持ち上げて、うわ、と慌てた背をもう片方の腕が支えた。所謂お姫様抱っこというやつだ。…………何故?!

「ちょ、ちょ、ちょちょ爆豪くん?! なに?!」
「うるせえ耳元で騒ぐな!」
「なに?! なんなん! どこ行くん?!」
「ベッド」
「へあっ?!」

そんなガツガツしたひとやったっけ?! ぶわりと赤くなったのは不可抗力としか言いようがない。慌てふためくが爆豪は構わず寝室へ進んでいく。下着の色はやはり思い出せない。扉が開いて、彼は迷わずベッドに近づき、腕に抱えた恋人をぽいと投げ捨てた。

「……雑!」
「連れてきてやったんだろが文句言うな」

ぎしり。ベッドのスプリングが音を立てて、爆豪の接近を知らせた。まずい、まずい、まずい。加速する思考回路の中で麗日は思い出してしまった。そもそも上下が揃ってない!

「ま、待って爆豪くん! 今日は!」

腕を突き出し拒否のポーズ、しかし構わず手は伸びてくる。本当に万事休すだと悟ったところで後頭部に手のひらが滑り、あれ、と思ったときにはしっかり抱きしめられたまま、ベッドに倒れ込んでいた。

「……あれ?」
「あれじゃねえわ。サッサ寝ろ」
「え、ちょ……寝ろって」
「目の下真っ黒でみっともねえんだよ」

言いつつ爆豪はすでに目を閉じており、このまま寝るつもりのようだ。下着の色なんて完全に杞憂だったらしい、羞恥に耳が熱くなった。
しかし、冷静とは言えない頭で考えてみても、この提案は完全に麗日の体調を慮ったものだ。確かに麗日は疲れ切っていて、だからこそ今日は爆豪と会うことを選んだ。一緒に休めるのならそれが一番だとは思ったが、久々のデートでただ眠るだけなんて、爆豪はそれでいいのだろうか。

「でも、久しぶりに会ったのに……本当にええの?」
「うるせえ寝ろ。俺は寝る。話しかけんな」

愛想のかけらもない言葉、なのに体に巻き付いた腕から伝わるのは労りで、アンバランスさがおかしかった。思わず笑うとそれで一気に気が抜けたらしい、布越しに伝わる爆豪の体温も相まって眠気に襲われた。瞼を閉じて意識を失くす直前、かさついた手のひらが、優しく背を撫でた気がした。

 

 

案の定無理をしていたらしい。この馬鹿がと悪態をつきながら、爆豪は眠る麗日の手を取って、ベッドサイドに置いていたミトンを嵌めてやった。
眠るときはいつもこうだと聞いたのはもう何年前のことだろう。指一本でも触れなければ発動しないのだから、小指にテープでも巻いておけばいいのではないかと思わないこともない。しかし、ミトンを嵌めて眠る彼女の、なんとも間が抜けた姿を爆豪は気に入っていた。だから今日まで何も言わず、甲斐甲斐しくミトンを嵌めてやっているのだ。

「……アホみてぇな面しやがって」

規則正しい寝息を立てる、麗日の頬に触れた。今日までどれほど無茶をしたのだろう。体調管理もヒーローの仕事の内だ。無理がたたって対応が遅れでもしたら、惨事を引き起こす可能性だってある。起きたら説教だなと思いつつ、目の下の隈をなぞった。
こんなふうになるまで、彼女の状態を知ることができなかったのが悔しかった。傍にいればすぐにでも無茶に気づけたという自信があるだけ、余計に歯がゆくて腹が立つ。

「…………」

以前から、考えていたことがあるにはある。交際期間も三年を越えた。お互い多忙な日々の中、会う時間は減る一方だ。今日だって一月ぶりの逢瀬で、その事実に爆豪は苛立っていた。週に一度の電話だけで足りるはずがないのだ。彼女の重みを、体温を感じられないそれで、どう満足しろというのだろう。
が、しかし。

「ん……」

身じろぎした麗日を抱き直し、その髪に顔をうずめながら、爆豪は思案する。
考えていたことが、あるにはある。しかしそれを伝えるだけの言葉を、口に出せるかといえば別の話で。

眠ったまま、麗日がふにゃりと笑った。憎らしいほどのんきなやつだ。同棲を切り出すきっかけを探して、恋人が眉間に皺を刻んでいることなど、知りもしないのだから。