どういう状況だ。これは。
視界いっぱい、目の前に迫るのは愛する恋人の姿だ。ひとつ下、しかしおれよりも背が高い彼はとても慎ましやかで、キスも自分からでは満足にできないという体たらく。苛立ちがなかったといえば嘘になる。が、同時に照れる姿だとか真っ赤になった耳だとかがかわいらしいとも思っていたのでプラスマイナスゼロ、むしろプラスの要素の方が大きかった。
そのはずだ。おれのかわいい恋人は、照れ屋なかわいいあんちきしょうなはずだ。決しておれを押し倒して貪るようにキスをすることなど、できるようなやつではなかったはずだ。
それならどういう状況だ、これは。
「は、……ふ……のりひとさん」
「……剣城? 剣城だよな?」
下敷きになった身体を、なんとか引きずり出して後ずさり。しかしそのぶんだけ剣城が距離を詰めてくる。背後にはすぐ壁があり、逃げられる状況ではなかった。
「ちょっと待て落ち着け、明日後悔すんのお前だぞ?!」
「後悔なんてしません」
「するんだよお前は!」
前もしてたから! 前例あるから!
必死に叫ぶも剣城には届かないらしい。また少し距離を詰めてきて、動いた拍子にぶつかったテーブルから、ごとんとグラスが降る。ほとんどからの中身から、飲み残しが床に落ちた。
「……剣城、グラス落ちた」
「そうですね」
「ちょっと床濡れてる」
「そうですね」
「せめて目を向けろ、おれでなくグラスを見ろ」
「そうですね」
「会話!!」
眼前まで迫った瞳がまぶたで覆われて、半ば強引にキスをされる。当然のように舌が侵入してくる。ついそれに応えると、いつもより感じやすいのか剣城が甘い声を出した。
完全に煽られている。そう思った瞬間、床についていたはずの手が、するりと動いておれの足の付け根に触れた。
「ちょっ……!」
「せんぱい、したいでしょう」
震えたからだを見逃してはくれなかったらしい。せんぱい。剣城が甘えた声でまた呼んだ。
この酔っ払いが、何杯飲んだんだおまえ、なんか嫌なことでもあったのか。言いたいことは山ほどあったが、「後悔するなよ」の一言に全部乗せて腕を引く。
「しません。ください」
体重を預けた剣城は、せっぱつまったおれの顔をみて、満足そうに笑った。
○
おはようございます。
それだけ絞り出すのが精一杯でいまにも泣きそうだった。俺は昨日なにを。考えずとも身体中についたキスマークがそれを物語っている。
「昨日は随分と積極的でしたね?」
にやにや笑いの恋人は、コップを片手に自分の肩を指した。真っ赤になったそれはよく見なくとも歯型だ。
「すっ…………みま、せん……」
言いつつ水の入ったコップを受け取る。少し飲むと、さきほどまで痛んでいた喉が多少はマシになった気がした。
「やー酔っ払いの誘いにのったおれも、まあ……ちゃんと後悔すんなって言ったからな?」
「それは」
「え」
「後悔は……してない、です」
昨夜の記憶はとても朧げで、覚えているかと問われれば多少はと答えられる程度だ。そのなかに忘れられない、脳裏に焼き付いている彼の表情がある。それが見られただけでも……まったくなかったと言えば嘘になるが、おおよそ後悔というものはない。
というより、そもそも、あの量の酒をひとりでかっ食らっていた理由は。
「お、まえ、もしかして」
思わず上がった口角を見咎められて、口元まで布団を引く。昨日はどうしても繋がりたくて、しかし素直に誘える自分でもないから酒の力を借りることにしたのだ。
「……前は確かに、事故みたいなものでしたけど」
今回はそれを承知で。言外に言えば、倉間先輩は頭を抱えてあああと唸った。
「手のひらの上……ッ」
「です」
「どちくしょう!!」
ただつい飲みすぎて、ほとんどを覚えていないのは失敗だった。だから。
「先輩、今日休みでしたよね」
俺もなんです。肩の噛み跡に触れて告げる。これで伝わるだろうか、なんてものは杞憂だ。
「……昨日より泣かす」
「……俺、昨日泣いたんですか」
「腫れてんぞ」
目元に唇を寄せられ目を閉じる。同時に彼の手が腰に周り、目を覚ましたときと同じ体勢に戻った。
「いまから全部、忘れんなよ」
「もちろん。先輩も」
カーテンは閉め切られたままで、部屋の中は薄暗い。その暗さも視界を遮るほどのものではなくて、彼の表情がよく見える。
それはつまり、自分のことも見られているということだ。
「……焼き付けてください」
首を持ち上げてキスをする。
「上等」
小さく呟いた彼を抱きしめて、あとはされるがまま、思う存分愛されることにした。