嘘つき少年の幸せな末路

嘘をついた。それは自分を騙すものであり、彼女に気づかせないためのものでもあった。それをつき通すくらいの器用さを持っているつもりだったけれど、世界はそんなに甘くはなかったらしい。どこからか想いは知れて、噂となって彼女に伝わってしまった。最悪のケースだった。

もうやめなくてはいけない。なにもかも。目の前の彼女から、離れなくてはいけない。

「不動、くん」

呼ぶ声は少しだけ震えていて、こちらを見る瞳は濡れて輝いていた。朱色の頬は、いつもよりも赤みを増していた。

「あの、噂をきいたの。あ……あなたが、 その、わたしを…………好きだって」
「……夏未さんはそれ、信じてんの?」

諦めなくてはならない時が来てしまったのだ、と改めて悟って、それでも往生際悪く足掻いてみる。
夏未は不動から目を逸らして足元を見た。そして逡巡した後、決意したように再び不動を見据える。その強い瞳が好きだった、と他人事のように思った。

「……わからないわ。たくさん考えて、でもわからなくて、……だから、いっそのこと聞いてしまおうと思って」
ずるいかしら、と俯いた夏未に、いいんじゃねえの、と不動は笑う。
嘘つきはもう終わりだ。ならせめて少しでもいい形で、彼女の記憶の片隅にでも残りたい。告白のシミュレーションはいままでだって、情けないことに何度も繰り返していたから、その通りにからだを動かしてやればいいだけだった。

「……あのさ」
「…………はい」

夏未は軽く俯いたまま、長いまつげの影を瞳に落としている。これも見納め。がしがしと頭を掻いて、オシマイかぁ、なんて息だけで呟いてから、止まりそうになる声と心臓を奮い立たせた。

「……俺は、夏未さんが好き、です」

震えてしまった声には目をつぶり、これからどうなるか、これまた何度も考えた最悪のパターンを脳内で再生していく。ばちーん。最低ね。もう近寄らないでちょうだい。立ち尽くす俺と立ち去る彼女。切ない俺の後ろ姿。
終わった、と暗示のように思って夏未を見た。

「あ………ええと、その…ふ、ふどうく……あの、ね?」

しどろもどろとさまよう視線、先ほどよりずっと赤く染まった頬。指はなにやらそわそわと、両の手を合わせて動いている。
え、と思わず声が出た。目の前の現実が示すことがわからず、瞬きをくり返す。夏未が顔にかかる髪を耳の後ろに持って行った。

「あ、あのね。わたし、その……本当にずるいと思うのだけど、うわさをきいてから、ずっと……ほ、本当ならいいのにって」

露わになった耳はりんごのように真赤で、それに見惚れた不動はリアクションまで数秒置くことになった。いや、でも、ありえないだろ。内心呟いてから右手で顔を覆う。聞き間違い? そんなバカな。

「……それ、どういう」

ようやく捻り出した声は蚊の鳴くようで、それでも夏未には届いたらしい、瞳がこちらを向いた。

「……少し待ってくださる? ……少しだけ」

頷くと夏未はくるりと後ろを向いた。肩が一度、大きく上下して、息を吐き出す音が聞こえた。よし、と無意識か呟いた彼女は髪をふわりと踊らせて、勢いをつけて不動を振り向いた。
その瞳は先ほどまでのようにさまようことはない。ただまっすぐ不動の目を正面から見ていて、それは不動が一番好きな瞳の色だ。

「不動くん、私は」

夏未がゆるくかぶりを振る。

「……いえ、私も。私も、あなたが好きです」

赤く染まった頬、凛とした瞳。愛してしまったその日から、ずっと、本当はずっと聞きたいと願った言葉。
頭が一瞬で真っ白になった。しかしすぐに色を取り戻す。混乱しきった脳内で、必死に言葉を考える。

「は……え、と」

それでも口から出るのはなんの意味もない文字ばかりだ。顔が熱いのだか冷たいのだかわからない。とにかくなにか返事をしなくてはと焦り、焦るあまりに思考回路がどこかに吹き飛んだ。

華奢な肩を腕で包む。引き寄せて抱きしめる。

そうしたまま数秒動かずにいて、長い髪から香る匂いに我に返った。離れようとした瞬間、夏未の腕が、背中に回る。なだめるような優しい指に触れられる。夢じゃない。

「夏未さん」
「はい」

衝動はもう抑えようもなかった。抑える必要もなかった。

「俺の……俺の、彼女になってください」
「はい」

腕のなかで頷く感触。この温かい女の子は、ずっとずっと好きだった女の子は、たったいまから自分の恋人になる。

改めて強く抱きしめて、五秒。
やばい、すげーしあわせ。呟いた途端こぼれおちた涙は、しあわせの副産物とでも言えようか。

 

 

嘘つき少年の幸せな末路
配布元:「あおいふうせん」(配布元のTwitterアカウントが消えてたのでリンクなし)