有り余らない

身体に巻きついた腕は全力で甘えてくるものだった。寝起きで頭の回らない剣城は特に考えもせずに自然と抱きつき返して、んん、と満足そうに笑う声を聞いた。

「……今日、早い日じゃなかったんですか」

何分かそうしたあと、腕の中にいる恋人に問いかける。昨夜、明日は早く家出るからと話していたのを思い出したのだ。
平たい胸に顔を埋めて、倉間はへらりと笑う。

「一時間間違えてた」
「あー……」
「から、そのぶんお前補給しとこうと思って」

手のひらが頬を撫でた。引き寄せられるのに抗わず口付けて、それからまた胸元へ擦り寄る頭を、今度は意識的に抱きしめる。あたたかくてふわふわした髪に鼻先を埋めると、シャンプーと混ざった倉間の匂いがした。

「……ちょっとくるしい」
「我慢してください」

そういえば昨日はほとんどこうして触れなかったとか、キスは何回したかとか、そんなことが頭に浮かんで消えていく。
覚えていたって仕方がないと気がついたのは、寝食を完全に共にするようになってすぐのことだ。思いのほか倉間は甘えたで、つられるように剣城もそうなっていった。
お互いがお互いを離すつもりがないと知ったのも、その頃だった。だからこそ、触れあったときの温度を身体が覚えているのだから、目の前にそれがあるのにむざむざ逃がすこともないだろうと考えられるようになったのだ。

「……先輩」
「ん?」

くぐもった声が耳に届く。背中に触れる指先が熱い。
身体の底から湧き上がるものが、じわじわと喉元まで押し寄せてきた。いま自分は起きたばかりで、寝ぼけているのだと言い訳をしながら、いつも照れやタイミングで言えないことを吐き出した。

「好き。大好きです」

身体全体を使って、包み込むようにしながら倉間を抱きしめる。顔を見られるのも、見るのも恥ずかしい。とにかく頭を逃がさないように抱えて、数秒経ってからもがきだしたのも素知らぬふりを通した。耳が熱い。まだ、離せない。

「京介、こら! 離せ!!」
「…………まだだめ」
「おれにも言わせろ!!」
「え」

時間が止まった気がして、その隙に拘束を緩めた倉間は剣城の腕から抜け出した。倉間の顔は同棲を切り出したときと同じくらいに赤く染まっていて、堪えきれないのか頬が緩んでいる。へにゃり笑顔のまま、まだ真っ赤であろう剣城の耳に指を添えた。

「おれも好き。信じらんねーくらいお前が好き」

額がぶつかる。身体中が熱いのは夏の暑さのせいではなく、全部が彼のせいだった。照れ隠しにはにかむ倉間につられ、口角が上がるのを抑えきれずに、額を合わせたまま二人してへらりと笑っていた。

それから数回キスをして、時計を見ると余ったはずの一時間はとっくに尽きている。

「……あーもう、家出たくねー」
「授業でしょう、行ってください」
「……一コマだし」
「だめです」

ぴしゃりと跳ね除ける。ここで甘やかすと彼のためにも自分のためにもならない。
しょげた顔でしぶしぶ起き上がって、着替えを始める姿を寝転んだまま見ていた。ばさり、靡いたシャツを捕まえて引いた。

「……なんだよ」
「今日、一コマだけなんですよね?」
「おう」

不思議そうな彼に微笑む。

「待ってますから、ここで。ちゃんと受けて、まっすぐ帰ってきてください」

肩にかかっていた肌掛け布団が、背中まで滑る。途端に強く抱きしめられて、うわ、と声が出た。

「二時間! 二時間寝て待ってろ!」

そして強く口付けて、朝食も取らずに部屋を駆け出して行った。

「ちょっ……ごはん! ちゃんと食べてくださいね!」

ドアが閉まる直前、元気のいい返事が聞こえた。急ぎすぎて転ばなければいいが。
大口を開けてあくびをする。帰るまでの二時間、彼の言ったとおりに寝て待つことにして、剣城は鬱血の痕が残る身体を再びベッドに預けた。